リノベーション 名古屋を謎とく唯一の方法

「国史の歩み」は素敵な美しい歴史絵巻になっているので、訪問宅への手みやげには喜ばれる。 児童書ではないため子供が読み楽しむ本ではないが、家庭には一冊置いて欲しいと思う。
最近、「K社の絵本」の日本語の復刻版が出版されるらしいとの噂を聞いた。 素敵なことだ。
童話物だけでなく、「乃木将軍」「源為朝」等の歴史人物や伝記物の絵本も是非見てみたい。 結婚してすぐ、夫から課題を与えられた。
賢い母であって欲しいとの思いであったのか、「本を読みなさい」というのだ。 当用漢字しか馴染みがない私には少し難しい。
読めない漢字がある。 呆れられてしまったのを覚えている。
その後、子供が次々出来て時間もなくなり、学習は出来なくなってしまったが、妻が駄目なら子に…と思ったのか、子供に教育を始めた。 といっても机の上の教育ではなく、昔の歌を歌って聞かせていただけであるが、びっくりする。
何の歌か聴いている人にはわからないが、「青葉の笛」というAの歌である。 一の谷の戦敗れ討たれし平家の公達あわれ…であるが、今は教科書にも出てこない、知られていない人である。
明治生まれの父母を持つ夫は、その歌を聞いて育ったため日常の普通のことであるかも知れないが、私にとっては驚きの連続であった。 知らない、びっくりする歌が飛び出す。
般若心経は、お正月の二日目、書初めの日に父が書いていたので、お経であることは知ってはいた。 しかし、意味は難しい。

昔は素読といって、四書五経を音読させたという。 四書五経とは平城京時代の貴族の教養の書であり、江戸時代は、武士の子弟の必読の教科書であったらしい。
暗記は時がくれば忘れるが、暗記ではないこの素読は体で身につくものであるため、生活と密着し、その人格となったという。 人類の歴史には必ず始まりがある。
卵が先か鶏が先かのように、大人がいて子を産むのか、子がいて子の成長を通して大人が大きくなるのか、を深く考えるとわけが判らなくなるので考えないようにしているが、確かに最初に人間を造った創造主はいたはずである。 その神秘を人は「神」と呼ぶ。
太古から、この世は縦と横の時間の流れにより成り立っている。 日本であれば約二千年の歴史は時間という縦糸であり、私達はその時代の横糸を彩り織っている。
横糸はその時代時代によって美しい彩りで織られたり、暗い色で織られたりと、時代によって色々であろう。 しかし、縦糸は二千年前からはるか未来へと、どこまでもつながっているのだ。
それなのに、歌ひとつをとっても、戦前に歌われた歌を戦後生まれの人は知らない。 日本の文化伝統はどこで断絶されたのか。
特に歌は親から子へ、子から孫へと歌われ続けていくものだと思うが、実際そうはなってない。 不自然である。
私は歴史の歌をほとんど知らないが、ある年齢以上の方に歌っていただきたいとお願いすることがよくある。 歴史物語のように、情景が目に浮かぶ歌が多い。

歴史上の人物の物語を歌にして歌っているため、下手な歴史書を子供に読んでやるくらいなら、この歌を歌ってやった方がよほど教養になるのではないかと思うことがある。 父の歌った般若心経も、論語も、歴史の歌も、子供達の心に残っている。
しかし、子供達は自分の子達には歌わないだろう。 それでは、歴史はつながっていかない。
歌わねば語らねば、次の世代にはつながらない。 父母がそうしてあげられれば一番良いのかもしれないが、日々の育児でそんな余裕もないのが現状だ。
もしかしたらその役目は、育児で忙しいお父さんお母さんではなく、おじいちゃんとかおばあちゃんの役目なのかもしれない。 そう考えると、年をとっておばあちゃんになるのも、まんざら悪い気もしない。
さあて、おばあちゃんになる日が待ち遠しい。 いっぱい、歌を歌ってあげたいな。
高円寺には、祖父が亡くなってからは祖母が一人で住んでいた。 祖母は、毎朝、牛乳屋さんが牛乳を届けにくると音と同時に牛乳を取りに行き、秋に庭の枯葉が落ちると同時に落ち葉を拾いに行く。
毎日朝と夕方の二度、廊下を雑巾で磨き上げる。 黒光りする廊下は自分の顔が映りそうなぐらいぴかぴかで、私達孫はおそるおそる、汚さないようにつま先で歩いた記憶がある。

暖房はコタツだけの部屋は、質素ではあったが隅々まで磨かれ、空気まで張り詰めており、いつも緊張していた。 その厳格な祖母に、子供をつれて挨拶に行った時のこと。
子供は何を聞かれたのか、何気なく「うん」と返事をした。 さあ大変。
それから帰るまでの間、私はずっと祖母からお小言を聞くことになった。 「お前は、子供に返事の仕方も教えてないのか」「うん、とは何事か」子供の目の前で怒られたためくやしかったが、祖母の言うことはもっともであったので反論もできなかった。
母にまで、「お前の育て方が悪いから、孫が挨拶もできない」と叱っていた。 私が怒られるのは仕方がないが、母まで…。
母に非常に申し訳なくて、自分が叱られるより辛かった覚えがある。 母は、私が幼いころ教育をきちんとしてくれていたのに。
母からは「はい、にこ、ぼん」といつも教えてもらっていた…。 「はい、にこ、ぼん」とは、呼ばれたら「はい」と明るく返事して、「にこ」と笑顔で、すぐに「ぼん」と立つことである。
家庭では何をしていてもいつも「はい、にこ、ぼん」ですと言われていたが、子育ての忙しさからか、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。 その時からは、子供にきちんとした返事、挨拶が出来るよう育ててきたつもりだった。
が、ある時、親として恥ずかしい場面に遭遇した。 末娘が大学生の時、就職試験で一次試験に合格し、さあ二次試験の面接に臨むという数日前。
「練習してみようか」とドアのノックの仕方、ドアを開けてからの一礼、椅子の座り方等。 「少しでも茶道をやりなさい」と言う母に反発して茶道を習おうともしなかったが、親の言うことは聞いておくべきだったと今になって思う。

反省。 「はい、面接官がここね」と練習が始まってびっくり。
その行動が、一つ一つぎこちないのだ。 笑顔のみで人生渡ってきたような子で安心していたが、これは大変!茶道をやらせておけばよかったかなあと反省するが、時遅し。
長女の友人である三味線の先生がちょうど遊びに来ていたので、その面接の指導はまかせることにしたが、礼の角度、礼のしぐさなど、日頃から身についていないことはすぐにわかる。 「こう?」「これでいい?」と、ぺろりと舌を出して照れながら指導されていた。
普段からきちんとしておけば、いざ正式な場面に出てもゆとりが出来、美しさがにじみ出るだろうが、「ドアを開けてからこう会釈して…」と頭で考えながらでは動作がぎこちなくなり、美しい礼にならないのは当然である。 私が中学生の頃は、母は自宅でよく茶会を開いていた。
家に着物を着た人が来ていることも茶道は、本では読んでいてもちっとも身につかない。 茶席に臨むにあたって一応、本に目は通す。
しかし、茶席に行くと頭の中は真っ白で恥をかく。 日頃お稽古している人は、自然に美しく体が動く。
これが、日頃のゆとりである。 賎とは、しつづけることと言うが、体が自然に動くまでにしつづけなければ、心のゆとりは出来ない。

言葉使いも同様で、正しい日本語はきちんと幼少期までに身につけたいものである。

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